2018年6月30日土曜日

無題がいいです。

てんとう虫の背中に乗って飛ぶ夢をみました。
でもガラス窓に映った私はてんとう虫の背中の「黒い点」でした。

主役は「てんとう虫の背中に乗った私」ではなくて
「黒い点を乗せたてんとう虫」でした

でも起きてから考えるとてんとう虫の手足や
触覚の一本一本も、黒い点の細胞も主役だったんだと思います

ヒトも航空写真なんかで映された時は黒い点かもしれなくても、
何かの組織の中に居る一人一人の心臓も血管も細胞も主役という前提で成り立つ
と思いました。

愛鳥のばけるが亡くなって、もうすぐ半年
ばけるのいない夏がはじまるなんて ついていけないなあ
カーペットをはがしたときにふと出てくるばけるに齧られた畳を思い出すだけで
まだ泣いてしまうのは仕方ないとも思うのです。

ニガミ17才b がリリースされています、
7月からはツアーもはじまるので はやく全国のみんなに
あいたいなー。  死ぬまでにそう何度も会えないはず。

おやすみなさい。

2018年5月22日火曜日

レシート捨てた

空っぽな毎日を踏んでいる
なんか 踏まされている という表現がしっくりくる
もっと やりたいことがある 時間は作るものだ と
よく言われていたけども どう作っても 作っても
別の作業にその時間は奪われていってしまう

その間に アイデア はナマモノ なので 旬じゃなくなってしまう
ナマモノではない作業をしている間に
ナマモノは傷んでいって 腐っていってしまう

SOS に気付かれなくて助けが来ないことと
SOSに気付いてもらったのに助けが来ないのでは
圧倒的に後者の方がチームとして大問題なのだと思う

自分のために みんなのために とおもってやることも
「ありがとう」の一言があればどんなに救われることか

「ありがとう」のひとことがないことが
どんなに空しいことか

空っぽな毎日 と言っても 毎日がやることがたくさんあって
常にあれやこれやで追われている

私が言いたい「空っぽな毎日」というのは「空しさ」
が常に付き纏っていることを意味していたみたいです
こうやって 何書くかも考えずに文を打つ事で
ひさしぶりに自分の気持ちを整理する
明日は取材。 おやすみなさい




2018年2月22日木曜日

ナマモノの時間

バンドはナマモノとはよく言ったものですが
人間がナマモノなのだから そりゃそうだなと思うようになりました

おなじ時代をたまたま生きてたナマモノの人間が数人集まってひとつの音をだす空間に、それを観に聴きに来てくれるナマモノの人間が集まって出来る空間ってほんとうに奇跡なんだよなあと痛感するようなことがあります

解散とかもそうですし
愛鳥のばけるが闘病の末亡くなったことと
大杉漣さんが亡くなったニュースをみて
死を覚悟してからの死と、突然の死があることが再認識させられました


ニガミ17才がいつまで続くのかなんて誰も知らないし いつまでも続きたい
でもライブをするたびに 今日もニガミ17才は生きてるし
今日もライブができた よかった しあわせだなあと思って布団にはいる

どこまでかいていいのかわからないけど
素直にかくとするなら そう思う理由としては
岩さんの病気がわたしの中でほとんどを占めているなあとおもう

岩さんの心臓が無事今日も動いてくれている限り
ニガミ17才は生きているし
音楽を音源としてだけではなく
生の音として、ライブとして
お客さんとの一体感を感じれるなあと
なにか目には見えないものに感謝をしてしまう

あのとき一度死んだ岩さんが数パーセントの確率で
蘇生したのには 必ず意味があったと思ってしまうし
まだあんたやらないといけなとあるからなあって言われて
この世に戻されたような気がしてしまいます

わたしやタツルボーイ、こっちゃんが突然の事故で亡くなる
可能性だってゼロじゃないから死の可能性はみんな平等なのだけど

そういった突然の死ではなく、
常に覚悟をしていないといけない死というものが岩さんには付き纏っているというのは
やはり わたしのなかで大きな意識としてあって
不安や心配といったマイナスの感情よりも
だからこその感情といいますか
だからこそいつでも妥協したくないしいつでも全力で楽しんでほしいしたのしみたいし笑いたいと思えるんですよね

岩さんから、タツルボーイから、こっちゃんから出てくる音を一音でもおおく聴きたいし おなじステージから届けたいし
生のステージに一緒に立てているしあわせを常に感じずにはいられないです

なんかそんなことを考えてしまうきっかけのニュースが舞い込んできたので
ツイッターとちがってじぶんの思ったことを素直に残すブログにかいてみました、
なんか くすぐったい気持ちだけど これが本音なのだから 数年後のわたしはこれを読み直して なんておもうかね

新曲「ただし、BGM」のMVが公開になって、セカンドミニアルバムも発表になりました。
すごく毎日がめまぐるしい!たのしい!
はやくライブハウスでたくさんのみんなと会いたい

雨がとぼとぼ  夕飯の食材買って
家にすたこら帰る

2018年2月10日土曜日

朝のゆめ

じぶんに子供がいる夢をみた
男の子だった
もう 愛おしくて愛おしくて
この子のために生きるんだっておもったし
この子を守るっておもってたし
起きたいまも いつか会える気がしてるし
会えないいまがとてもさみしくて 
不安でしかたない
もう一度会いたい お話ししたい
いつか会えるのだろうか
もしかしたら 希望は現実よりも夢の中に


おやすみなさい

2018年1月23日火曜日

ばけるおやすみ

2018.1.19 22:00ごろ愛鳥のばけるが私の中に旅立ちました
ばけるのことは もうすこししたら また書こう
ばける おやすみね。

2017年10月31日火曜日

きょうも生きてくれている

愛鳥の「ばける」の看病生活のなか、
ふと、ばけるがいない生活を想像して泣き腫らす夜です
そんな夜もあるのはしかたない

2017年10月4日水曜日

ともだちのゆめ

最近はFacebookとかインスタとかのおかげで同級生の近況がわかるし会ってないけど写真で確認ができる

今朝は中学の時の教室で中学の同級生たちが、楽しそうに、つまらなさそうに、各々過ごしてるゆめをみた

みんな大人になった姿でいたせいでなんか変な気持ちがした

平日の昼間から 教室で 私服で 携帯を持って コンビニで買ったものをたべながら居るのが とても悪いことをしている感覚になる

「校則」というものがなくなった「教室」はどこかあたりまえのことに罪悪感をかんじさせてくる

わたしがみる中学生のころの夢にでてくる同級生は ほぼおなじひとたちだけど
きまっていつも3人だけ中学生のころの印象のままで 今朝もそうだった

3人の同級生は今も19才のままとまっていてわたしは今日を生きる度にその3人と離れていく感覚になる


こんな夢を見た日はかならずその感覚に振り回されます

大人になったあいつを見たかったなと思えるのは たぶんもう居ないからなのですから でもなんかじょうずに消化できない日もある


久しぶりに地元に到着。
いってきます