2018年11月27日火曜日

きれいな言葉が疎ましいとき

地元に久しぶりに帰ると、わーこの駄菓子屋さんまだやってるんだー
とか、この団地まだある!とか、このお店なつかしい!とか
変わらない味だなあとか。

変わらないでい続けることの大変さと素晴らしさとリスク
について考えることが最近たのしいのです

歌舞伎や、宝塚や、変わらないでい続けながらも
進化し続けるエンターテイメントや伝統
そのプロフェッショナルというもののひとつに
ディズニーランドがあって、

ニガミ17才を結成したとき、岩さんと目指したいとよく話していたのが
ディズニーの多幸感、わくわく感でした。
何度もディズニーに足を運んではショーやキャスト、キャラクターたちの振る舞いや、
なによりその世界観を守ることへの徹底さなどを学んでました、
学びにいくけどもちろんたのしい!ハッピーなあの空間!すごい!かんぺき!
って毎回おもう。

もちろんディズニーだけでなく演劇や映画館などにも足をはこんで
ニガミ17才に反映できることを日々みつけてはスタジオで語らい
たのしみながらライブに取り入れての日々なのですが
先日久しぶりに行ったディズニーで、再認識させられたのが
変わらない信念の部分の強さ というもので

岩さんとディズニーに行く時、乗り物はほとんど乗らずにひたすら
ショーをみます。 だいすきなビックバンドビートも抽選落ちても
外でひたすら2時間並んで観ます。

そうすると 普段ニガミ17才のライブのために寒い中、暑い中、並んで
観てくれているお客さんの気持ちがすごくわかるし
今度冬にニガミの企画するライブのとき、並んでるみんなにホットコーヒー
配るとかどう?とか、ホッカイロのがいいかな?
とか、ホッカイロならメンバーからのメッセージ書くとかは?
とか、色んなアイデアがでてきて、それだけでもうディズニーに来た甲斐がある

で、30分間のビックバンドビートをたのしんで
普段音楽を聴かないひとや、ライブハウスに足を運ばないひとたちも、
一斉に手拍子をしてにこにこしてしまうあの空間を、
どうやったら創り上げれるのか?とか
なんで同じ構成、同じセットリスト、全く同じ動きをしてるのに
何度も観たい!終わった直後からもう観たい!
って思えるの?すごいよね?そう思わせるには?とも思うし、
そうそう!これこれ!がなければ物足りない不思議もある。


そんなんを語らいながら次のパレードの場所取りをするのですが
そのパレードでミッキーが
「夢は僕をどこまでも連れて行ってくれる!ハハッ」
って言ったんですよ、

いままでなんとも思わないはずの言葉なのですが
気付いたら泣きそうになってる自分がいて
追い討ちをかけるかのように今度はシンデレラに
「たとえ辛い時も 信じていれば 夢は叶うもの」
と言われ

もうなんか いつもはなんとも思ってなかったことばが
ぐさぐさささって
きれいごとと言われがちな、夢、希望、愛、信じよう!というテーマを
ディズニーはずっとずっと、わたしたちが小さい頃から、ずーーっと
変わらず提示しつづけていて

そんなんいいわ! ださいわ!
と思う時も、なに言っちゃってんのよ、疎ましいわい!と思うときも
変わらずずっと居続けていて

その言葉がささるときも、もちろんそこに居続けているんだな
って気付いたとき、
変わらない信念、メッセージに心を打たれていました

ニガミ17才は、ハッピーな空間を提供したいと前々から思っていて
ニガミのライブもうなんかしばらくいいや〜と思ったり、
ライブハウスとか音楽とかのモードじゃないな…と思ったりすることだって
みんなあるでしょうし、そんなときにふとしたきっかけで、
ニガミのライブを久しぶりに見てくれた時に
変わらずハッピーな空間でいることで、おかえりー!と迎えてあげれるところでありたいなぁとかおもいました。


ハッピーな空間というものは変わらずに
でもその為に進化をし続けることと向き合いたいと思いました。
わくわくすることや、ものを、やりつづけていくのがとてもたのしい、

なによりお客さんのニコニコした顔がうれしくて しあわせ
照れるからツイッターでは言えないけど これは ほんとうに活力です
ありがとう

ながくなってしまった
おやすみー。






2018年10月5日金曜日

自転車がパンクした

今日はじぶんにも、ひとにもやさしくなれなかった
今日は、こころが優しくいれなかった
なにかあったとかではなくて、たまにそういう日が突然あって
あしたもそうなのではないかと不安になる。
あしたもそうなんだろうなと思っておいたほうが、こころにはやさしい

こういう日にご褒美のハーゲンダッツをたべても あまり味がしないので
絶対に食べないでおこうと思います

なるだけ冷めていない人間でいたい
対相手の人数が増えようが、体温を持って接していたい
それが自分を壊してしまうのもわかるから もどかしい
突然疲れて 勝手にシャットダウンされるし

諦めたふりをして予防線をはらないよう努めたい
ありがとうと伝えられる距離にいる人には伝えたい
なるべく笑ってたいし ハッピーを届けていたい

はじめてのワンマン公演で
メンバーの顔を見たとき しあわせだなぁって思って
フロアのみんな空気感が それを確信させて
私を音楽に導いてくれてありがとうと心からおもいました

ニガミ17才がはじめてライブをしたあの日、
わたしの1音からライブがはじまったのを今でもはっきり覚えてる。
町の変態 という曲ではじまり、ラブレター・かわきものの3曲で初ライブを終えた
サンプラーをひたすら同じテンポで叩くので必死だった

その時期のことが一気にワンマンの町の変態の演奏中に思い出されて
あの時とぜんぜんちがう表情のメンバーが美しくて感動してた
ステージの上で感動していました。

今日はあまりライブのことかくつもりなかったけど かいてしまった

おやすみ






2018年7月25日水曜日

ばけるに起こされる

ニガミ17才ツアーがはじまった

16日につくばロックフェスに出演して
17日に化けるレコードのMVを公開して
18日ツアー初日札幌COLONY公演でした

空きっ腹に酒・ドミコとの3マン
当日券でソールドアウトしました、うれしいありがたいです

ゆきてろ君、シンディーさん、西田くん、いのまたくん、光くん、長谷川くん
みんな素敵な人間で東京に帰ってきてからもどこかさみしい

数日前、昼寝していたら1月に亡くなった愛鳥ばけるが夢に出てきた
「カゴに入れないから、カゴの中、きれいにして」って言われて起きた

部屋の隅にある片付けられないままでいるばけるのカゴをぼーっとみて
「あ、カゴの中に餌箱やらヒーターやら詰め込んでたもんなぁ」と思い
少し覚悟を決めてカゴ以外のものを大泣きしながら掃除した

お盆が終わるまで、カゴの出入り口を一応開放しておくことに決める

2018年6月30日土曜日

無題がいいです。

てんとう虫の背中に乗って飛ぶ夢をみました。
でもガラス窓に映った私はてんとう虫の背中の「黒い点」でした。

主役は「てんとう虫の背中に乗った私」ではなくて
「黒い点を乗せたてんとう虫」でした

でも起きてから考えるとてんとう虫の手足や
触覚の一本一本も、黒い点の細胞も主役だったんだと思います

ヒトも航空写真なんかで映された時は黒い点かもしれなくても、
何かの組織の中に居る一人一人の心臓も血管も細胞も主役という前提で成り立つ
と思いました。

愛鳥のばけるが亡くなって、もうすぐ半年
ばけるのいない夏がはじまるなんて ついていけないなあ
カーペットをはがしたときにふと出てくるばけるに齧られた畳を思い出すだけで
まだ泣いてしまうのは仕方ないとも思うのです。

ニガミ17才b がリリースされています、
7月からはツアーもはじまるので はやく全国のみんなに
あいたいなー。  死ぬまでにそう何度も会えないはず。

おやすみなさい。

2018年5月22日火曜日

レシート捨てた

空っぽな毎日を踏んでいる
なんか 踏まされている という表現がしっくりくる
もっと やりたいことがある 時間は作るものだ と
よく言われていたけども どう作っても 作っても
別の作業にその時間は奪われていってしまう

その間に アイデア はナマモノ なので 旬じゃなくなってしまう
ナマモノではない作業をしている間に
ナマモノは傷んでいって 腐っていってしまう

SOS に気付かれなくて助けが来ないことと
SOSに気付いてもらったのに助けが来ないのでは
圧倒的に後者の方がチームとして大問題なのだと思う

自分のために みんなのために とおもってやることも
「ありがとう」の一言があればどんなに救われることか

「ありがとう」のひとことがないことが
どんなに空しいことか

空っぽな毎日 と言っても 毎日がやることがたくさんあって
常にあれやこれやで追われている

私が言いたい「空っぽな毎日」というのは「空しさ」
が常に付き纏っていることを意味していたみたいです
こうやって 何書くかも考えずに文を打つ事で
ひさしぶりに自分の気持ちを整理する
明日は取材。 おやすみなさい




2018年2月22日木曜日

ナマモノの時間

バンドはナマモノとはよく言ったものですが
人間がナマモノなのだから そりゃそうだなと思うようになりました

おなじ時代をたまたま生きてたナマモノの人間が数人集まってひとつの音をだす空間に、それを観に聴きに来てくれるナマモノの人間が集まって出来る空間ってほんとうに奇跡なんだよなあと痛感するようなことがあります

解散とかもそうですし
愛鳥のばけるが闘病の末亡くなったことと
大杉漣さんが亡くなったニュースをみて
死を覚悟してからの死と、突然の死があることが再認識させられました


ニガミ17才がいつまで続くのかなんて誰も知らないし いつまでも続きたい
でもライブをするたびに 今日もニガミ17才は生きてるし
今日もライブができた よかった しあわせだなあと思って布団にはいる

どこまでかいていいのかわからないけど
素直にかくとするなら そう思う理由としては
岩さんの病気がわたしの中でほとんどを占めているなあとおもう

岩さんの心臓が無事今日も動いてくれている限り
ニガミ17才は生きているし
音楽を音源としてだけではなく
生の音として、ライブとして
お客さんとの一体感を感じれるなあと
なにか目には見えないものに感謝をしてしまう

あのとき一度死んだ岩さんが数パーセントの確率で
蘇生したのには 必ず意味があったと思ってしまうし
まだあんたやらないといけなとあるからなあって言われて
この世に戻されたような気がしてしまいます

わたしやタツルボーイ、こっちゃんが突然の事故で亡くなる
可能性だってゼロじゃないから死の可能性はみんな平等なのだけど

そういった突然の死ではなく、
常に覚悟をしていないといけない死というものが岩さんには付き纏っているというのは
やはり わたしのなかで大きな意識としてあって
不安や心配といったマイナスの感情よりも
だからこその感情といいますか
だからこそいつでも妥協したくないしいつでも全力で楽しんでほしいしたのしみたいし笑いたいと思えるんですよね

岩さんから、タツルボーイから、こっちゃんから出てくる音を一音でもおおく聴きたいし おなじステージから届けたいし
生のステージに一緒に立てているしあわせを常に感じずにはいられないです

なんかそんなことを考えてしまうきっかけのニュースが舞い込んできたので
ツイッターとちがってじぶんの思ったことを素直に残すブログにかいてみました、
なんか くすぐったい気持ちだけど これが本音なのだから 数年後のわたしはこれを読み直して なんておもうかね

新曲「ただし、BGM」のMVが公開になって、セカンドミニアルバムも発表になりました。
すごく毎日がめまぐるしい!たのしい!
はやくライブハウスでたくさんのみんなと会いたい

雨がとぼとぼ  夕飯の食材買って
家にすたこら帰る

2018年2月10日土曜日

朝のゆめ

じぶんに子供がいる夢をみた
男の子だった
もう 愛おしくて愛おしくて
この子のために生きるんだっておもったし
この子を守るっておもってたし
起きたいまも いつか会える気がしてるし
会えないいまがとてもさみしくて 
不安でしかたない
もう一度会いたい お話ししたい
いつか会えるのだろうか
もしかしたら 希望は現実よりも夢の中に


おやすみなさい